計算実践

自分の街の「明け六つ」は、今日何時か

「明け六つは朝の六時ごろ」。そう覚えている方は多いと思います。でも、その答えは半分しか当たっていません。江戸の明け六つは、季節によって、そして住む土地の緯度・経度によって、刻々と動くからです。では、自分の街の明け六つは、今日いったい何時なのでしょう。考え方をたどってみましょう。

季節で、これだけ動く

まず、季節でどれだけ動くか。江戸(東京の緯度)で、太陽の位置から明け六つ・暮れ六つを計算すると、おおよそ次のようになります(その土地の太陽が真南に来る瞬間を正午とする「地方視太陽時」での値です)。

  • 夏至:明け六つ 4:04 / 暮れ六つ 19:56 / 昼の一刻 約2時間39分
  • 春分・秋分:明け六つ 5:24 / 暮れ六つ 18:36 / 昼の一刻 約2時間12分
  • 冬至:明け六つ 6:32 / 暮れ六つ 17:28 / 昼の一刻 約1時間49分

夏至と冬至で、明け六つは二時間半も動きます。「朝六時」が目安として通じるのは、春分・秋分のころだけ。夏は午前四時台に、冬は午前六時半ごろに夜が明けるのが、不定時法の世界です。一日の長さが同じでも、昼の一刻だけで夏は二時間四十分近く、冬は一時間五十分弱と、まるで別物の長さになります。

江戸の季節別、昼と夜の一刻の長さ。夏至・春秋分・冬至で、昼の一刻と夜の一刻がどう伸び縮みするかを示す。点線は二時間(現代の感覚での一刻)。

土地でも動く

緯度が変われば、季節による振れ幅も変わります。北にある街ほど、夏と冬の昼の長さの差が大きくなります。同じ夏至の昼の一刻を三つの街で比べると——

  • 江戸(いちばん北):約2時間39分
  • 京都:約2時間38分
  • 長崎(いちばん南):約2時間35分

わずかな差に見えますが、これは「緯度が高いほど季節の振れが大きい」という性質がはっきり表れたものです。さらに、当時は全国共通の時刻がなく、その土地の太陽で時を測っていました。経度の離れた江戸と長崎では、太陽の南中(正午)そのものが四十分ほどずれます。「同じ明け六つ」と言っても、江戸と長崎では、そもそも同じ瞬間ではなかったのです。

太陽の位置から、どう割り出すのか

明け六つを求める計算は、煎じ詰めれば二段構えです。第一段は「いま太陽が空のどこにいるか」を知ること。第二段は、その動きを逆算して「太陽が決まった深さまで沈む瞬間が何時か」を求めること。

第一段では、日付を天文学の通し番号に直し、太陽が真南に来る時刻の年間のゆらぎ(均時差)を補正し、その日の太陽が天の赤道からどれだけ南北に離れているか(赤緯=いわば季節そのもの)を求めます。第二段では、観測地点の緯度と太陽の位置から、「太陽がある高さまで下がるのは正午から何時間後か」を解きます。その目的の高さを、明け六つにあたる伏角に設定すれば、答えが出る——という流れです。

数式の細部に立ち入る必要はありません。大事なのは、複雑なのは「太陽の位置を正確に知る」ところだけで、明け六つから暮れ六つまでを六等分して一刻を出す最後の一歩は、ただの割り算だ、ということです。不定時法の難しさは、伸縮そのものではなく、伸縮の基準となる太陽の動きを正しくつかむところにあります。

「一刻=二時間」が成り立つのは、春秋分だけ

先ほどの早見の表を、もう一度よく見てみてください。春分・秋分の昼の一刻は二時間十二分、夜は一時間四十八分。じつは、ぴたり二時間ずつにはなっていません。昼夜が天文学的に等しくなるはずの春秋分でも、昼のほうがわずかに長く出るのです。理由は、明け六つ・暮れ六つが日の出・日没そのものではなく、その手前・後ろの薄明を基準にしているから。薄明のぶんだけ「昼」が前後にはみ出すので、昼の一刻がほんの少し長くなります。「一刻はおよそ二時間」という言い方は便利な目安ですが、それが本当に近いのは春秋分のころだけ、ということです。

計算が解けなくなる場所

この計算の美点は、緯度・経度・日付さえ与えれば、江戸でも長崎でも、二百年前でも今日でも、同じ枠組みで刻が割り出せることです。けれど、答えを返せなくなる場所もあります。高緯度の白夜や極夜です。

太陽がその日、一日中いちども決まった深さまで沈まない(白夜)か、あるいは一日中その高さまで昇らない(極夜)場合、「太陽がその高さに来る時刻」を問う式は、そもそも解を持ちません。北極圏の夏には、太陽は明け六つの深さまで沈まないまま空を一周してしまう。すると明け六つも暮れ六つも定義できず、昼夜の六等分が成り立たなくなります。これは計算の欠陥ではなく、不定時法という制度の「住所」を教えてくれます。昼と夜がはっきり訪れ、その境目が毎日きちんと巡る中緯度の地——まさに日本の空——でこそ、この制度はきれいに回るのです。

「日の出」とは違う、という但し書き

ここで、正確さのために大事な但し書きを二つ。

ひとつ。ここでいう明け六つは、日の出そのものではありません。基準にしているのは、太陽の中心が地平線の下、伏角七度二十一分四十秒まで沈んだ瞬間——薄明の明るさです。これは国立天文台が暦象年表の「夜明」「日暮」に用いている定義と同じもので、大気の屈折や太陽の見かけの大きさを別途加えない、幾何的な角度です。「明け六つ=日の出」とする換算とは、三十分前後ずれます。

ふたつ。ここに挙げた数値は、寛政暦以降の境界の定義を現代の計算で引き直したものであって、江戸期の暦が実際に掲げた数値そのものではありません。当時の暦は、その時代の暦法と観測精度のもとで編まれており、現代計算値とは分単位の差がありえます。原理は同じでも、道具と精度が違えば答えは少し違う——その差まで含めて正直に示すのが、もとにした本の流儀です。

自分の街の、今日の明け六つを

季節で動き、土地で動く明け六つ。早見表は便利ですが、結局のところ知りたいのは「ほかでもない自分の街の、今日この日」の値でしょう。

そのために作ったのが、不定時法アプリ「時の舟人」です。あなたのいる場所と今日の日付から、太陽の位置をもとに、今日の明け六つ・暮れ六つと、いまが何の刻かを表示します。時代小説の「明け六つに発つ」が、自分の住む街の空でいま何時なのか——画面の上で確かめてみてください。

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