通説解体

「明け六つ=日の出」は、半分しか正しくない

時代小説や落語に、よく「明け六つ(あけむつ)」という言葉が出てきます。「明け六つに城を出た」「暮れ六つの鐘が鳴る」。なんとなく「夜明けごろ」という雰囲気で読み流している方も多いのではないでしょうか。

では、明け六つとは、正確には何時なのでしょう。「日の出のことでしょう」と答えたくなります。じつはその答え、半分は当たっていて、半分は外れています。しかも「どちらが当たりか」は、時代によって入れ替わるのです。

「夜明け」と答えると、底なしの問いが始まる

江戸時代の不定時法(ふていじほう)は、昼と夜をそれぞれ六つに分け、明け六つと暮れ六つを昼夜の境としました。つまり、この境目が三十分ずれれば、そこから割り出される一日の刻(とき)が、すべて連鎖的にずれてしまいます。「明け六つはいつか」は、暮らしの時間割の土台にかかわる、意外に重い問いなのです。

そして当時の人びと自身、この境目の定めにくさを自覚していました。幕末の時計の手引書には、明け六つはたいへん定めにくい、と断ったうえで、空に大きな星がまばらに残って見え、手のひらをかざすと細かい筋は見えないが太い筋が三本ほど見分けられる——その明るさをもって六つとせよ、という趣旨の判定法が記されていたと伝えられます(文言そのものは原典との照合を要するため、ここでは「伝わる」と控えめに記します)。星あかりと自分の手。道具をいっさい使わない、みごとに人間的な定義です。

注目したいのは、これが「日の出」そのものではない、という点です。空に星が残るのは、太陽がまだ顔を出す前。明け六つは、日の出より少し早い「薄明(はくめい)」の時間帯を指していたのです。

三つの暦、三つの答え

では、暦を作る専門家——天文方(てんもんかた)——はどう定めていたのでしょう。じつは答えは一つではなく、暦の制度(暦法)とともに、少なくとも三度書き換えられています。

**最初の答えは「日の出そのもの」**でした。古代に唐から伝わり、八百年あまり使われた宣明暦(せんみょうれき)の時代(貞享元年・一六八四年まで)には、明け六つ・暮れ六つは日の出・日没と重なっていました。「明け六つ=日の出」という素朴な理解は、この長い時代についてなら、たしかに正しいのです。

二番目の答えは「日の出の前後およそ三十六分」。貞享元年(一六八四)の改暦で生まれた貞享暦(じょうきょうれき)は、夜明けと日暮れを、日の出の手前・日の入りの後ろにそれぞれ一定の幅をとって定め直しました。境目はこの時点で、はっきりと薄明の側へ移ります。

**三番目の答えが、寛政暦(かんせいれき)の「太陽の伏角(ふかく)七度二十一分四十秒」**です。寛政十年(一七九八)に施行されたこの暦は、時間の幅ではなく、太陽が地平線の下どれだけの深さに沈んでいるか、という角度で夜明けと日暮れを定義しました。時間の幅から角度へ。これは単なる言い換えではありません。同じ「三十六分」でも、空の明るさは季節や土地で変わってしまいます。角度で決めれば、いつでもどこでも「同じ明るさ」を指せるのです。

つまり、「明け六つは日の出か、薄明か」という問いは、二択で答えてはいけません。答えは暦法によって変わりました。そして、町人文化が花開いた江戸の後期——貞享暦から明治の改暦までのおよそ百八十年——の公式の定義は、一貫して薄明の側にあったのです。

明け六つ・暮れ六つの定義の変遷。宣明暦(〜一六八四)は日の出・日没そのもの、貞享暦(一六八五〜)は前後およそ三十六分、寛政暦(一七九八〜)は太陽の伏角七度二十一分四十秒という薄明基準へと移った。

七度二十一分四十秒という「明るさ」

この中途半端な角度は、どれくらいの暗さなのでしょう。現代の天文学では、日の出前・日没後の薄明を太陽の深さで段階分けします。地平線から六度までが、照明なしで屋外の活動ができる「常用薄明」。明け六つの七度二十一分四十秒は、その下限をわずかに過ぎた——「まだ少し暗い」側にあたります。空には明るい星がまばらに残り、手をかざせば太い筋だけがかろうじて見える。手引書が伝える庶民の感覚と、暦学が計算した角度は、別々の道を歩いて、ほとんど同じ明るさで出会っていたのです。

おもしろいことに、この角度はいまも生きています。国立天文台が毎年出す暦象年表(れきしょうねんぴょう)は、現在も「夜明」「日暮」という項目を、太陽の中心の伏角が七度二十一分四十秒になる時刻、と定義して載せ続けています。明け六つという言葉が暮らしから消えて百五十年。寛政の暦学者が定めた角度は、現代日本の公式の暦のなかに、いまもひっそりと息づいているのです。

夕暮れの「誰そ彼」、そして日の出という約束ごと

同じことは夕方の側にも言えます。暮れどきを指す「黄昏(たそがれ)」という言葉は、もともと「誰(た)そ彼(かれ)」——「あれは誰だ」と問わなければ、向こうから来る人の顔が見分けられない暗さ——から来たとされます。明け方の「手の筋」と、夕方の「誰そ彼」。どちらも、人間の視覚の限界そのものを時刻の目盛りに使っています。暮れ六つもまた、日没そのものではなく、日没の後に星が灯りはじめる薄明の時刻だったのです。明け六つと暮れ六つは、太陽が同じ深さに沈む朝夕の鏡像でした。

ついでに言えば、比べる相手である「日の出」のほうも、見かけほど単純ではありません。地平線に接した太陽の光は大気で屈折し、太陽の見かけの直径より大きく浮き上がって見えます。つまり、私たちが「日の出」と呼んで眺めている太陽は、幾何学的にはまだ地平線の下にいるのです。日の出という一見明快な基準でさえ、大気という不確かな媒質を介した約束ごとの上に立っています。どこに境目を引いても、それは何がしかの取り決めを必要とする——明け六つの「定めにくさ」は、自然を時刻に翻訳する営みすべてに潜む難しさの、よく見える見本なのです。

なぜ、解説書は食い違うのか

ここまで分かると、世の解説書やネット記事の説明が、なぜ少しずつ食い違うのかも見通せます。「日の出・日没基準」と書くもの、「日の出の約三十分前後」と書くもの、「薄明基準」と書くもの——どれも、変遷のどこか一点を切り取っているのです。「日の出基準」は宣明暦の時代について正しく、「約三十分前後」は貞享暦以降の幅の丸め、「薄明基準」は寛政暦以降の公式定義に合います。どれか一つだけが正解で、ほかが誤り、という話ではありません。

ひとつだけ、注意が要ります。「明け六つ=午前六時」と固定の時刻を添えた瞬間、不定時法のいちばんの特徴——境目そのものが季節で動くこと——が抜け落ちてしまいます。午前六時は春分・秋分のころの目安にすぎず、夏至の明け六つは午前四時台、冬至なら午前六時を回ります。便利な丸めは、制度の魂を丸め落としてしまうのです。

では、自分の住む街では、今日の明け六つは何時なのでしょう。季節と土地で動くその時刻を、実際に求めてみましょう。

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